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古代ギリシア社会はエーゲ海文明とオリエント先進文明の影響を受けてポリスを中心に文化が栄え、祭典、儀式、日常生活での薫香や香料、化粧品が多量に消費されていた。B.C7~6世紀にギリシア文明においての香料人気は絶頂を迎え、人々はその日常生活の中で絶対に欠かせないものとして香料を扱うようになっていた。女性たちは頭に花薄荷の香膏を塗り、顔と頭にはパーム油、首と手足の先には聖ヨハネ草のエキス、腕には薄荷をという徹底ぶりである。宴会の際には頭をバラの花で飾り、食堂には香料箱を置き、食べ物やぶどう酒には香ばしい香りがつけられた。ぶどう酒にはギリシア人の好きなスミレとバラが用いられた。宴会客には高価な香料を配り、花の香りを撒き散らしていたので宴会場には方向が満ち溢れた。芳香を撒くのに、一羽ごとに違った香水を羽につけた四羽の鳩に、部屋中を自由に飛びまわらせるといった、一風変わった方法も用いられていた。そんな香料好きなギリシア人が最も好んだのはスミレの香りで、その他には薄荷と立麝香草油の配合香料も人気があった。このような、あまりに加熱した香油人気を鎮めるために、当時の有名な政治家で、詩人でもあるソロンは、芳香油をアテネ市民に売ることを法令で禁じたのであった。またソクラテスも、ギリシア人のあまりに行き過ぎた香料熱を非難しているのだが、それにもかかわらず、アテネの香料商の店先は、政治家、哲学者、芸術家など、あらゆる階級の人々の溜まり場となり、情報の交換やら社会場としてにぎわった。